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弁天神社 <
べんてんじんじゃ > |
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熊野市(旧熊野市、旧紀和町) > |
ご祭神 辨財天 鎮座地 三重県熊野市木本町
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鬼ケ城西口(木本側)、木本漁港に向かって行くと丁度漁港の真横に白い鳥居があり、登り口となっている。 登り口からは、急な階段ではあるが弁天神社までは、2〜3分もあれば着いてしまう。階段を上りきり少し登るように歩いて行くと、きれいな石積みが左手に見え、その石積みの上に小さな社があり、ここが弁天神社とわかります。 海側には低木の常緑樹があり、その向こうに七里御浜が連なり、木本の街並が見えます。
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入り口のところには、弁天神社の説明が書かれた看板がありますが、風雨のため前半部分の下がほとんど読めなくなっていました。 看板の最後には、 昭和55年8月4日 熊野市文化財調査委員 岡本 實 木本漁業協同組合 と、この看板を設置したであろう日付と、関係者の名前が書かれています。
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看板の後半には、こう書かれていました。 辨財天は非常に美神にして、辨財天を祀る村には昔から美人が多いと言われ、又この浦の出舟入舟を見守る守護神として信仰されてきました。口碑によると木本村の一丁目に岩田屋という雑貨屋があり、財をなしてその邸内に立派な弁財天を私祭していましたが、そこの老婆の遺言でそれを現在地に遷宮したと言われ、今に伝わる御本尊はそのときのものであると伝えられています。 写真は鳥居横にある岩を削った階段。 平成29年に新しい看板が付け替えられました。その説明文を下記に記載します。 「木本浦の弁天さん」 弁財天は元はインドの水の女神であり、音楽神、福徳神、学芸神など幅広い正確をもつ神様です 我が国では七福神のひとつとなり技芸、豊漁、豊穣の神として祀られてきました 弁財天は非常な美神にしてこれを祀る村には昔から美人が多いと言われています 木本浦の弁天さんはこの脇の浜の断崖にあり出舟入舟を見守る神様として古くから、深く信仰され、親しまれてきました 口碑によると、木本浦一丁目に財を成した岩田屋という雑貨屋があり、その邸内に弁財天を私祭していましたが、そこのお婆さんの遺言によりこの地に遷宮したと言われています 御本尊は二寸、台座とも六寸の小像ですが、彫は入念、彩色は緻密、優雅な色白の美人と言われています 現存する最古の棟札が享和四年(1804)のものですが、それ以前から磯場の別の処に祀られていたようです 二百数十年の間、何度も祠や鳥居の修築を重ね、現在のものは昭和五十五年八月、木本漁業組合と多くの篤志家の尽力により新しく造営されました お祭りは七月十八日 夕刻より紙行燈に灯が入り、多くの老若男女が夕涼みをかねて参詣し、この地方の夏に安らぎと情緒をもたらしてきました 右奥の小さな祠は元宮です 今も木本浦と向かい合い、町を見守ってくれています 以上昭和二十五年に記された岡本 実氏の説明をもとに地元諸氏の協力によりまとめました 平成二十九年七月十五日
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その岩を削った階段を上ると写真のように、岩の中に祠があり、その前には白い石が敷き詰められています。
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祠のあたりから見た熊野灘。 晴れていれば青く美しい海が見ることができます。
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岩を削った階段からは、鳥居越しに木本の街並が見られます。 海を町を見守っているかのようです。
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参考文献 |
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弁天神社看板より |
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その他関連情報 |
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なし |
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