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荘司家の聖石 <
しょうじけのひじりいし > |
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紀宝町(旧紀宝町、旧鵜殿村) > |
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紀宝町北桧杖、荘司家の前庭の正面、上り石段中段にあったものを屋敷改造の際、裏庭に移され現在も保存されています。 聖石は、高さ約1メートル、径約50センチの円錐形の石英粗面岩(せきえいそめんがん)【鬼御影(おにみかげ)】で風化し苔むしています(写真)。
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荘司家は北桧杖の庄屋で古文書にもその名が記載されていますが、荘司家は大正3年の火災のため記載されたものは何一つ現存していません。 荘司家に伝えられるところによれば古来熊野速玉大社に仕える聖が、毎年神倉神社火祭りの際に、7日7夜の修行の後、当家に来て、聖石の前で印綬を受け、初めて聖の資格を与えられ神に仕える身となりました。聖家でおこなわれた最後の儀式は明治2年(1869年)梅松が2歳の時執り行ったとされています。神聖視されてきた理由は儀式に使われた石ということにあるようです。
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(現在の荘司家の方に聞いた話では、修行を終えた方後に着る着物をこの石の上にかけて置いたことにより聖石と言われていると説明されました。) 紀伊続風土記(きいしょくふどき)によれば「鎌倉時代神仏習合によって山伏が生まれ、それを志す修験者は定められた場所で一定の荒行を終え、最後に総仕上げとして神倉神社での最も厳しい修行に耐えた者が桧杖の荘司家に行き、聖石の前で当主から「聖」の称号を許されたのである」とされています。
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注意:荘司家は、一般の家であり史跡として開放されたものではありません。荘司家の方の許可をきちんと取って見せていただきましょう。
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参考文献 |
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紀宝町教育委員会の説明板 |
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その他関連情報 |
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なし |
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