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別当薫氏と尾鷲〜別当薫記念碑〜 <
べっとうかおるしとおわせ べっとうかおるきねんひ > |
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尾鷲市 > |
別当 薫氏は兵庫県出身の元プロ野球選手・監督で、選手時代(1947年〜57年)は本塁打王、打点王等のタイトルのほか日本初の3割30本塁打30盗塁を果たすなど攻走守3拍子揃った選手として大阪タイガース(現阪神)、毎日オリオンズ(現ロッテ)で活躍し、その後監督として大毎(旧毎日)、近鉄、大洋、広島で指揮(監督通算1237勝)。1988年に野球殿堂入りし、その野球選手に見えない知的な風貌から「球界の紳士」と呼ばれました。
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別当氏は本籍のあった尾鷲の地を「第二の故郷」として愛したことがゆえんで「別当杯野球大会」が尾鷲市で毎年10月から11月にかけて行われている。
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別当氏は1999年4月に惜しまれつつ死去。その訃報を悲しんだ尾鷲の有志により別当氏の記念碑を作ろうという運動が起こり、多数の市民・協力者から寄付を集め同年12月に、尾鷲市営野球場(地図)に別当薫氏の全身像と記念碑が建てられた。なお記念碑には長嶋茂雄氏の直筆で「別当薫記念碑」と記されている。 現在、秋の野球大会のほか春には記念碑清掃作業が行われている。
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■記念碑横に設置されている球歴を紹介した銅版
※銅版に記されている別当氏の言葉(左側の直筆の文字) 「私にとって尾鷲は少年時代の夢の盡きない(=尽きない)パラダイスでした 別当薫」
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■別当氏銅像 アップ
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■別当氏銅像 全体像
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■別当薫記念碑がある尾鷲市営野球場(地図)
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参考文献 |
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各種Webサイト |
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その他関連情報 |
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なし |
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