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トップページ >> コース紹介 >> 八鬼山越えコース >> 画像付きコース案内
コース紹介
八鬼山越えコース

尾鷲節 道標歌碑 タンク横の上り道を歩く
左:「尾鷲節 道標歌碑」のある交差点。案内標識が立っています。「ままになるならあの八鬼山を鍬でならして通わせる」という尾鷲節の一節は、江戸時代後期、八鬼山を隔てた三木里浦の庄屋の娘・お柳(17才)と、矢浜村の宮大工の弟子・喜久八(18才)の悲恋を唄ったもの。この道標歌碑は、お柳と喜久八の悲恋を調査した、尾鷲市矢浜の相賀 徳一氏(故人)が昭和32年(1957)に自費で建立したものです。
右:道標歌碑からタンク横を上っていく道に入ります。緩やかな上り坂が続きますが、左手の土手にはソメイヨシノがたくさん植えられていて、お花見の名所になっています。

八鬼山越え 登り口 上り道を歩いていって、公衆トイレを過ぎて間もなく左側に登り口があります。案内標識があるほか、「八鬼山越え」と彫られた石が置かれています。
「西国第一の難所」と言われ、険しい峠越えの山路にオオカミや追い剥ぎが出没して旅人に恐れられた道の始まりです。

登り口付近の石畳道 しばらくは平坦な道が続く
登り口から、草むらの中に石畳道が残っています。登り口近くは、ほぼ平坦な道が続いています。

巡礼供養碑 巡礼供養碑
西国第一の難所「八鬼山越え」には、長崎県・群馬県など合わせて4基の「行き倒れ巡礼供養碑」が残っています。左は、安政年間、茨城県筑波郡からの旅人 武兵衛の供養碑。行き倒れた者には、村人たちが看病したり葬ったり、法要を行ったりしたそうです。
登り口から続いたほぼ平坦な道ですが、左画像の巡礼供養碑がある辺りから、少しずつ急な上りになってきます。

八鬼山越えの美しい石畳道 八鬼山越えは、多くの部分に石畳道が残っています。その中でも、上記の巡礼供養碑を過ぎたあたりから駕篭立場までの区間には、ひのき林の中を美しい石畳道が、石畳の敷設幅の基本となった約1.8m(6尺・1間)の幅で残っています。

駕籠立場 手前の上り坂 駕籠立場
上り坂が続くきれいな石畳道を歩いていくと、駕篭立場に到着。樹齢300年と推定される大きなヒノキが目印になっています。駕篭立場は、紀州藩主や巡見使などが街道を通行するとき、乗っている駕篭を止めて休憩した場所です。紀州藩主の6代宗直、7代宗将、8代重倫が、この場所を通って八鬼山を越えたと記録されています。

駕篭立場にある町石 駕篭立場には、町石があります。この町石、ふもとの矢浜を基点にして、八鬼山の頂上までに50体、1町おきに立てられたと言われています。今では33体が残っており、すべてお地蔵様です。この駕篭立場の町石をはじめとして、道端にいろんな表情の町石を楽しみながら歩けるのも、このコースの魅力です。

いろんな町石がある 何丁目か書かれている
町石にはいろんなものがありますが、中には欠けてしまっているものも。また、何丁目かの数が読み取れるものもあります。今はかつての場所に置かれていないのでわかりませんが、かつて歩いた人にとっては貴重な目印になったことでしょう。

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