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トップページ >> コース紹介 >> 馬越峠コース >> 画像付きコース案内(馬越峠)
コース紹介
馬越峠コース

海山町側登り口 道の駅 海山から、尾鷲市方面へ300mほどのところにあります。ちょうど鷲毛バス停のあるところが、登り口です。大きな標識が出ているので、見落とすことはまずありません。

夜泣き地蔵尊 石積みの祠で、明治までは旅人の無事を祈る石地蔵があったと言われています。
やがて地区の人々が子供の夜泣き封じを祈って「夜泣き地蔵」と呼ぶようになり、今でも新しいほ乳瓶が供えられています。

馬越坂の一里塚 江戸時代、全国の主な街道には、距離を示す目印として一里(約四キロメートル)ごとに、一里塚が設けられていました。
馬越坂の一里塚は、石畳道の両側にあり、その昔は西側に松、東側に桜が植えられ、峠越えで疲れた旅人達の憩いの場であったと想像されます。(画像右側の盛り上がっている部分が一里塚です。)
町内には、他に小笠原(船津)、上里、馬瀬にそれぞれ一里塚があったが、現在は残っていません。したがってこの一里塚は、石畳道とともに往時のくまの道の面影を残す貴重な文化財なのです。

巨大なスギ 林道を越えて峠を登っていくと、巨大なスギが道沿いに数本生えています。
まわりの木に比べるととても大きな木です。この木が見えれば、峠の頂上まではもう少し。

馬越峠の茶屋跡 ここは海山町と尾鷲市の境、馬越峠(標高325m)。
その開設は定かではありませんが、この平地の所に「馬越茶屋(間越茶屋)」があったそうです。
茶屋の主・世古平兵衛がこの峠におまつりした岩船地蔵尊には、享保8年(1723年)の銘があり、開業年は更に遡るといわれます。茶屋をたたむ明治中頃まで多くの巡礼や旅人をもてなしました。
江戸時代の旅人の記録、道中日記に「茶屋にて餅を売る。左の峰に天狗石とて大石あり」「馬越坂上下一里、道へ石を敷き候坂なり。上に茶屋あり。おわし町見える」など、茶屋のことが記されています。
茶屋跡からは、西国一の難所と言われた熊野古道・八鬼山(627m)がよく見えます。
馬越峠の桃乙句碑(同じく峠頂上にあります。画像の左手。)
「夜は花の上に音あり山の水  桃乙
寛永7年(1854年)寅春、可涼園社中(尾鷲地方の弟子達)が、俳諧師・可涼園桃乙を偲んで建立した句碑。
自然石を俳句の短冊のように彫り、その中に桃乙の句を陰刻してあります。
桃乙は近江国(滋賀県)の俳人で、嘉永5年に熊野巡遊の旅に出て、尾鷲地方に約1年滞在して地元の人達に発句(俳句)を指導しました。翌6年の秋に新宮へ旅立ちましたが、馬越峠で次の句を残しています。
「馬越坂にて くつはむし道に這いでよ馬古世坂」
嘉永7年の前年6月には、アメリカのペリーが国使として、軍艦4隻を率いて浦賀に来航しています。
昭和50年4月26日、尾鷲市有形文化財(建造物)指定。

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