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さて、この日は千枚田のもう一つ奥にある赤木という集落へ行ってみました。車で千枚田から10分ほどかかりますが、広くて走りやすい道です。朝晩は凍結が心配されますが。。。。
赤木には「赤木城跡」という史跡があります。すごい山奥なんですが、小高い丘の上に立派な石積みがあって、当時を偲ぶことができます。国の史跡になっているだけあって、立派なものです。
下が赤木城跡からの景色。画像左端の方に集落が見えています。正面に見えている畑、緑色の部分が高菜畑です。 |
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赤木城の由来(現地の解説板から)
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赤木城の築城年代については、和歌山藩が編纂した「紀伊風土記」には、寛文雑記を引いて天正年間、藤堂佐渡守(のちの和泉守高虎)と羽田長門守の両人が北山代官のとき築き、罪を犯した者を、赤木城の西方の田平子峠で斬首し獄門にしたと記している。
また、熊野市神山の「倉谷家文書」には、天正16年(1588年)、大和大納言(豊臣秀長)の北山攻めの後、築城したとある。
藤堂佐渡守は天正13年の紀州攻めの際に北山入りし、文禄4年(1593年)四国伊予三郡を与えられる間での11年間、北山付近に在居し、この間二度の北山の陣で一揆を成敗したり、北山材の切り出しを行っているので、この頃に現在の城郭に整備したものと考えられる。
この城の特長は、中世と近世の築城法を併用した平山城である。南北約130mの尾根を中心にして繩張りし、主郭、南の郭、西の郭を地割りし、主郭の東側下の犬走りは北の付曲輪とその下方約50mの堀切に通じている。
また、南の郭の下には、付曲輪を残し、その西側には自然の谷を空堀にし防御に備えている。
石垣は野面乱層積みで反りがなく、主郭の四隅は算木積みと横矢掛りの工法を用いている。
築城当時の原形を残し城跡は全国でも少なく貴重である。このため、昭和57年4月田平子峠と共に三重県史跡に指定され、平成元年10月9日には国の史跡となった。 |
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赤木城跡の下の畑で作られている高菜。紀和町で作られているたかな漬けでは、青大葉高菜を使っています。収穫前で、大きな葉っぱがたくさんなっていました。 |
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赤木城跡の解説板に登場した、田平子峠の刑場跡。赤木城から車で5分くらいのところにあります。特に何があるわけでもなく、一揆で亡くなった人たちの供養塔が建てられています。
田平子峠の刑場近くに生えていたアセビの木。花が咲くのは3月〜5月頃。先っぽの赤い部分は、ええと、おそらく来春に咲く花のつぼみかと・・・。 |
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最後の画像は、季節はずれのモチツツジ。
ツツジと言えば4月〜5月頃が花の時期ですね。しかし、温暖な気候の東紀州では、真冬でも日当たりの良い温かい場所ではモチツツジが咲きます。葉っぱの色は、冬なので枯れたような茶色っぽい色です。(画像では、花の右側と左下に少し写ってます。)
きれいな色の花が少ない冬場、道沿いにもたくさん咲いているので目立ちます。
紀和町内の山奥をウロウロした1日、古道はあまりありませんでしたが、周辺の観光をたっぷり楽しめました。 |
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