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紀北の旅 紀行文2006
尾鷲から相賀へ
後藤 順

馬越峠 「尾鷲」と聞けば、台風シーズンの天気予報に、最初にあげられる地名だ。昨今のウォーキングブームで、「熊野古道」がその人気ベストテンに入っている。
十一月を肌寒い季節だと言っても、尾鷲湾は暖かい。黒潮の力だろうか。それを聞きつけたのは、妻だった。
最近、二人でウォーキングを始めた。近所の堤防道路とか街中を歩いている。トレッキングシューズやナップ・サックを新調した。意気込みの象徴にした。
 「来週の土曜日に熊野古道を歩くわよ」
 妻の高らかな宣言に、僕は苦笑い。二人しかいない家族だ。
 岐阜からの日帰り。JRで七時四十八分に発つ。ワイドビュー南紀を乗り継ぎ、尾鷲駅に十二時に着いた。予想通り、駅前は気持ちよい微風。あるパンフレットに従った。ここから、馬越峠経由の相賀駅までの三時間半のコース。何より、石畳の足感が楽しみだ。
 シダを敷き詰めた石畳が前へ前へと僕たちの足を進めた。ヒノキの香りが漂い、肺臓いっぱいに空気を吸う。尾鷲は屋久島地方と同じ年間雨量だ。この石畳が道を守る役目を果たしているらしい。先人の知恵と汗を感じる。今の僕たちは、「江戸人」の熊野参詣。すれ違うウォーカーとの挨拶も清清しい。丁髷の旅人が時空を超えて通るのか。
 馬越峠で遅い昼食にした。妻の少し塩っぽいにぎりめしが食欲を増す。頬に伝わる山風だが、潮の匂いも含んでいるのか。腹ごなしに天狗倉山の大岩に登った。その大岩からの眺望は素晴らしい。尾鷲湾を一人で抱き込む。妻の顔は緊張感で桃色だった。
 ハイの気分のまま、僕たちの歩行を進めた。時の過ぎるのは速い。疲れも感じない。相賀駅に立った。「一泊したかったわね。」妻の少し甘えた声が風に運ばれた。

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