紀北の旅 作品集 紀北の旅 作品集 紀北の旅 作品集
紀北の旅 紀行文2005
IATSS(イアッツ)、日本、尾鷲そして私
Thu Zar Thwin(Myanmar)

尾鷲の町「尾鷲の印象(紀行文)を書いて賞品をゲット」。これは鈴鹿市にあるIATSSフォーラムの第37回修了式の前に、カズーさん(尾鷲市国際交流協会)からいただいたメールの件名でした。個人的には、いつも私が経験したことなどを他の人と共有したいと思っています。私がこの紀行文に応募したのは、ブルーリボン賞をとるためではなく、私がこの日本で、そして尾鷲で見たこと、聞いてこと、感じたこと、そして経験したことを知ってもらいたかったからです。

IATSSフォーラムの事を語らずして、尾鷲での印象を十分に、そして完全には書くことはできません。IATSSは国際交通安全学会の略で、IATSSフォーラムというプログラムは、9カ国のアセアン諸国の研修生と日本人の参加者が、お互いに日本とアセアン諸国について考え、学び合い、そして、このプログラムで得た知識と経験をもとに、アジア地域の将来の発展に寄与することを目的としています。IATSSフォーラムは、あらゆる層の参加者に、アセアン諸国の発展の原動力になるための知識を授ける機会を提供しています。

 私は、第37回目となるこのプログラム(平成17年4月11日〜6月6日)に参加する機会をくれたIATSSと、プログラムへの参加者全員に紀行文への投稿を勧めてくれた私の友達カズーに感謝しています。

 「カモーン!!尾鷲へレッツゴー」と声を上げ、私は2005年5月13日、尾鷲へと向かいました。尾鷲を訪れる前に、尾鷲は雨がよく降るところで、どこにでもあるような小さな漁村だと聞いていました。私は、近代都市の東京、古都の京都、原爆都市の長崎、花の都市鈴鹿に行ったことがありましたが、訪れた尾鷲は、これらのどの都市とも違う、独特な町といった印象でした。

実際尾鷲に着いてあたりを見渡しましたが、わくわくするようなものや建物は、この静かな町には何ひとつありませんでした。尾鷲市立文化会館に着くと、そこはとても美しく、清潔でした。でもすぐさま、翌日の文化交流会の準備に追われることになりました。私たちは、机や椅子を移動させ、持ってきた物を箱から取り出し、飾り付けをしたりして、この静かで、きれいだった会館は、一転して慌ただしく、ごちゃごちゃになった。でも、飾り付けされた会場は、魔法をかけられたように、以前とは見違えるような生き生きとした、そして賑やかな会場になりました。

そして私たちは、今回お世話になるホストファミリーにお会いしました。その中には現職の住職さんもお見えになっており、私の友人の何人かは、週末限りの僧侶になることになりました。翌朝、彼らから、お寺での時間はすごく楽しいものだったと聞きました。

私はと言うと、同じミャンマー出身のウェイウェイさんと一緒に速水さん宅にお世話になりました。そこでは、お父さんのマコトさん、お母さんのエミコさん、そして娘さんのタカコさんの家族みんなが、暖かく、そしてとても親切にもてなしてくれました。今、私はすごく速水さん一家のことを思い出し、また会いたい!という気持ちでいっぱいです。

尾鷲にいる間は、事前に聞いていた情報とは違って、信じられないぐらい天気が良く、雨にも降られず、また嵐(私たち以外)もなく、暖かな春の日差しに包まれた日々でした。それは、まるで心地よい静穏の中で、そよ風に口づけされた様な気分でした。

2日目、タカコさんが、朝早く私たちを散歩に連れていってくれました。そこには、新緑の山々が、雲ひとつない青空の下に広がっていました。そして、新鮮な朝の空気が体中を駆けめぐり、私たちを元気いっぱいにし、心身共に晴れやかな清々しい気分にしてくれました。

元気いっぱいのまま、文化交流会の会場へと向かい、最後の展示準備をしました。2005年5月14日。最高!素晴らしい!見て!13カ国の素敵な文化。東南アジアの9カ国(カンボジア、マレーシア、ベトナム、インドネシア、ラオス、ミャンマー、フィリピン、シンガポール)と他の4カ国(オーストラリア、ブラジル、中国、イギリス)。見て!色鮮やかな衣装、笑顔、様々な伝統料理、珍しい物など、それらの国を代表するものが、所狭しと飾られました。

私は、自分がすごく興奮していて、心臓がどきどきしているのがわかりました。そこへ1人、2人、3人と、地域の方々が来場し、気がつくと、たくさんの人々が会場を埋め尽くしていました。尾鷲の人々は、楽しく、そして興味深くこの文化交流会に参加してくれました。

 また、私たちが持参した各国の物産品で、チャリティーオークションをしました。尾鷲のみなさんは、とっても気前が良く、オークションに出した品々を我先に、そして高値で買ってくれました。そして、その売上金は、なんと母国ミャンマーに寄付されることになっていました。考えてみてください。なんて幸せなことでしょう!会場に集まってくれた人たちの親切は、一生忘れることはできないでしょう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。(※ミャンマー語のため正確にはわかりません)

最後に、スキヤキソング(上を向いて歩こう)をみんなで合唱し、インドシナのダンスと、各国の伝統ゲームなどをして、大成功のもとに文化交流会は幕を閉じました

 その夜、地元の国際交流協会との懇親会がありました。地域の方々による和太鼓のパフォーマンスは、私がこれまで聞いた中で最高の躍動感とリズムが重なった音楽でした。「うらやましい!? 一生の内に、ぜひ尾鷲に来て、見てください!」。それに、そこで振る舞われた料理、特に海の幸は本当に絶品でした!

その懇親会もあっという間に終わり、その後、タカコさんと彼女の友人が、尾鷲の夜景スポットに連れていってくれました。そこからみえる夜景は尾鷲の人々の落ち着いた生活をあらわすかのように静かで、月夜に照らされていた。

5月15日(日)尾鷲での最終日です。私たちは早起きし、バスに乗って熊野古道に行き、古道を歩きました。熊野古道は一般的な呼び名で、熊野三山(速玉大社、本宮大社、那智大社)につながる巡礼道と聞きました。古道は、私たちをヒノキとスギに生い茂る林へと導き、一面に緑の植物が広がり小さな花たちがあちこちで見られました。また、古道沿いには、興味をそそらされる大木の下のほこらにあるお地蔵さんや、東洋の塔を連想させるような小石が積み上げられたものがありました。そして、展望台から望む景色は、息を飲むすばらしいものでした。山々に囲まれた海のパノラマと、この尾鷲を望む絶景は、決して忘れることができないでしょう。

私たちは、峠の途中で2つのグループに分かれ、ひとつは天狗倉山の頂上を目指し、もう一つは、ふもとの滝のそばにある馬越不動尊を目指しました。私は、ふもとを目指すグループの中にいました。その滝を見て、私は故郷ミャンマーにある滝を思い出しました。その滝は、ミャンマー北部 ピンオールイン フラワー市の中にあるダット・トウ・ジャイント滝!?と呼ばれるものですが、故郷の自然の美しさを異国の地尾鷲で発見したのでした。

一方、頂上を目指したグループの話によれば、頂上には巨大な岩があり、そこから見える景色はただただ驚かされるだけだったそうです。私はその絶景を見ることはできませんでしたが、彼らは私たちが見たものを見ることができませんでした。コインに例えて言うならば、コインの両面にはそれぞれ固有の美しさがありますが、片面を見るならば、もう片面は見ることができないのと同じです。
 
最後に、私が感じたことをまとめると、尾鷲への訪問は、私に温かく楽しい喜びと、素晴らしい経験をくれたすばらしいものでした。もし機会があれば、ぜひ尾鷲のあちこちを探検して、もっと隠された景色や宝物を発見してみたいと思います。みなさん!日本に来たならぜひ尾鷲を訪れ、あの素晴らしい景色を見逃さないでください。なぜかというと、
 「忘れられない自然の美しさが尾鷲市にある」からです。
※ 英語では、5−7−5の俳句調で作ってあります)

紀行文作品集2004 紀行文作品集2005 紀行文作品集2006
作品の版権はすべて「もてなしのさとづくり会議 人づくり部会」帰属しています。