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紀北の旅 紀行文2004
お祭り列車
尾家 徳次朗

紀伊長島の海 尾鷲を出た普通列車は街並みを外れるとトンネルに入った。ディーゼルカーのエンジン音が大きくなる。しかし少年少女たちの嬌声が勝っている。賑やかなことこの上ない。私はいったいどこに迷い込んできたのか、という戸惑いで頭が一杯だった。所用の帰路である。ネクタイ姿の中年男はこの車内にはそぐわない。引率者にも見えない。とりわけ浴衣姿の少女の華やかさには圧倒されるばかりである。中にはミニ浴衣を着ている子もいる。健康的で晴れがましい顔が眩しい。また少年たちも開放的で屈託のない表情をしている。無理もない。夏休みを迎えたばかりのお祭りの日なのだ。見ているだけで微笑みを誘う。七月の長かった陽も暮れようとしていた。
 相賀でまた子供たちが増えた。彼、彼女たちの親父世代の私にとって、お祭りを素直に楽しんだ青春初期の頃が一番の良い思い出となることを知っているだけに、車内でどれほど騒ごうが喚こうが叱る気にもならない。船津、三野瀬と小駅で子供たちを積め込んだ列車は緑の小島の浮かぶ熊野灘を横に走り続ける。その非日常的なオレンジ色の光景に我を忘れ、息を呑んだ。一番古い記憶として蘇る光景のような気がしたのである。私が目にしているのは間違いなく自然が形作った海岸風景なのだ。人が海を見つめると懐かしさを感じるのは本能であるかも知れない。けれどもそんな感傷とは違って空気と同じように、生命の根源に関わっているから感動を覚えるように思われるのだ。確かにその時、私は幻覚を見たような気がする。さまざまな記憶が交錯したのであろう。しかし少年少女たちにとってはあまりにも日常的でありふれた光景に違いない。はやる心を抑えることもできず、大声ではしゃいでいる。やがて人家が目立つようになり、ざわめいた車内に太鼓の音が聞こえてきた。車窓に船の数が増える。列車が減速した。間もなく紀伊長島に到着するのだ。

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