紀北の旅 作品集 紀北の旅 作品集 紀北の旅 作品集
紀北の旅 紀行文2004
「兄弟会」で巡った熊野の旅
松田 忠允

曽根次郎坂 数年前から兄弟三人とその伴侶による旅行が始まり、今年は紀伊半島を一周する海と古道を巡る二泊三日の旅である。長男である私は既に三年前に還暦を迎え、妻も次の弟も今年還暦を迎え、他の者も近く還暦を迎える。
一日目は白浜・串本・太地を巡り、二日目は太平洋から昇る朝日を拝み、熊野三山の一つである熊野那智大社に向かった。神仏崇拝の日本人の大らかな風土を如実に示すかのように青岸渡寺(西国三十三カ所一番札所)が仲良く甍を並べている。車での移動のため、先達が[浄土往生・後世安楽・現世利益]を願って、やっとの思いで辿り着いたのに比べ観光気分の域から脱しきれず、感激もやや少なかった。(*翌日、先達が辿った祈りの熊野古道伊勢路のほんの一部を体験する事になるのだが、そこで、今を生かされている人生の有り様を考えさせられる結果になろうとは、この時はまだ想像だにしなかった。)
海岸沿いの名所の幾つかを見物して夕刻には漁港に隣接している尾鷲のホテルへ入った。女将は女優の国生さゆり風の美人で、笑顔を絶やさず甲斐甲斐しく世話をして下さった。夕食は名物のクエ鍋と多種類の鮮魚に彩られた会席料理を堪能した。
 最終日の朝はホテルの持ち船で尾鷲湾巡りとなり、雄大な奇岩の連続に圧倒され続けた。
 これから今回の旅の主目的としていた熊野古道伊勢路の《曽根次郎坂・太郎坂》を歩くのだが、その近くには大樹に囲まれた飛鳥神社があり、境内には千年以上の樹齢を誇る神霊のクスの大樹が天空めざして勢いよく縦横に枝を伸ばし続けていた。
 クスとしては日本でも第三位の巨木との事であり、巡礼者の無事を祈念しているかのようにどっしりと構えている姿には自然と頭が垂れる。
 古道には賀田湾側の登り口から入り、平安時代と江戸時代に敷かれた苔むした石畳を歩き、甫母峠から二木島湾側に出る約五キロという体力と歳相応のコースであった。
関所跡・一里塚・峠の茶屋跡・猪垣にも興味を持ったが、私の胸に突き刺さるような強い衝撃を走らせたのは路傍にひっそりとたたずんでいる巡礼を供養した碑であった。
巡礼半ばで命尽きた老人や若者を、昔の村人達が懇ろに葬り丁重に供養したというその碑には、今でも地元の心ある人々が花を手向け弔っておられるのだ。過ぎ去った人生の影を見つめ、明日の安寧を祈るために詣でた《巡礼》という名の祈りの道の旅先で、目的を果たせず不慮の終焉を迎えた巡礼者の無念な思いに心を馳せずにはいられなかったが、巡礼者を優しく弔ってくれた村人の温かな心の琴線に触れ、ここに『信仰』の原点を見た思いであった。もし仮に、熊野古道伊勢路を先に歩き熊野那智大社に詣でていたなら、昨日とはまったく別の敬虔な思いで参拝したであろうと思うと悔やまれてならなかった。
 紀伊山地が世界遺産に選ばれた理由の一つに『信仰』という内容が含まれていた事に、今更ながら深い思いを感じとった次第である。

 巡礼を 弔いし碑に 花ありき 神を慕いし 信仰の道

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