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美しい石畳を過ぎると、間もなく新鹿に到着です。
登り口へいたるまでに、あたしか温泉の案内も出てきます。途中の道を右へ10分ほど川沿いに歩くと、あたしか温泉の建物が見えてきます。温泉で疲れを落としていくのも良いでしょう。
「伊勢へ参らば熊野へ参れ どちらかけても 片まいり」と歌われたように、お伊勢参りをすませた人々は、熊野三山詣、西国三十三所巡礼へと向かいました。
信仰の道である東熊野街道(伊勢街道)を南下し、難所の八鬼山を越えて、曽根次郎坂太郎坂を越え、さらに二木島峠、逢神坂峠を越えて新鹿に着いたのです。
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芭蕉の門人の向井去来も、元禄2年(1689年)に新鹿を訪れました。「伊勢紀行」では「熊野にあたしかという処あり、初音をききてこちの身もあたしかに聞くほととぎす」と記しています。
古来から風光明媚な新鹿へは文人墨客が数多く訪れました。
芭蕉俳諧の復興を唱えた中興の六俳人の一人、三浦樗良もここに庵を構え、地元の人々に俳諧を教えるかたわら多くの名句を残しました。今でも、新鹿海岸には美しい新鹿の浜を歌った「消えもせむ有明月の浜千鳥」という句碑が建てられています。 |
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巡礼道標(熊野市有形民俗文化財)
道標の角柱4面の切り付け文字は、青蓮院流(御家流)で、字体はヤゲン彫りで、底のまるい丸影とヤゲン彫りの折衷技法。
この道標は、伊勢方面からは熊野街道を示し、熊野側からは伊勢街道を指し示したもので、隣接市町村には、この種の多角的指標は見られません。
なお、山間から海岸をつなぐ飛鳥町方面からの八丁坂峠道は、ここに下り着いたわけで、この道標をもって十字路の位置をなしています。 |
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