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トップページ >> 地域・人々 >> 大川善士さん >> 熊野古道に関わる活動
地域・人々
大川善士さん
熊野古道に関わる活動|現在の活動とこれからなぜここまで頑張るのか?

熊野古道に関わる活動

 平成5年 活動のはじまり
大川さんの熊野古道に関わる活動は、平成5年頃から始まりました。
熊野市にある木本高校のワンダーフォーゲル部が、トレッキングコースとして熊野古道を使っていました。古江と賀田の間にある羽後峠も、コースとして道標が設置してありましたが、これが腐ってコースが分かりにくくなってきていました。
その道標の補修を行ったのが、大川さん。木本高校のOBではありますが、特に知り合いがいて頼まれたというわけではなく、以前から山に出入りしていたので自分が補修してあげただけ、ということです。
当時の羽後峠は、古道人気の現在のように歩く人がいなかったため、荒れ放題になっていたそうです。草刈機を持って補修作業に出掛けたと言います。

 平成6年 羽後峠・八鬼山越えの整備
長〜い猪垣(ししがき)が有名な羽後峠
長〜い猪垣(ししがき)が有名な羽後峠
さて、続く平成6年には、和歌山県の熊野本宮大社から伊勢神宮まで、「歩け歩け協会」のメンバー450人が熊野古道ウォークに参加しました。
当初予定では賀田の周辺は「八鬼山越え」だけでしたが、羽後峠の整備を始めた大川さんが、ぜひ!と薦めて、羽後峠もそのルートに入りました。平成6年の秋には450人が羽後峠と八鬼山越えを歩いたのです。
 このとき、羽後峠のコース整備(草刈・道標など)を行い、また八鬼山越えの三木里側も道標を立てたり草刈をして整備しました。
 当時の「熊野古道」の知名度
当時は、現在のようにハイキングコースとして知られていなかった熊野古道、歩く人も少なかったらしいです。
昔からあちこちのコースを歩かれている大川さんによれば、リュックを背負って道がわからずにキョロキョロしていると、「郷土史の○○先生のお宅をお探しですか?」と聞かれたそうです。
つまり、当時熊野古道を個人的に歩いていた人は、郷土史を研究している人がほとんどだったということですね。その他、老人会や学校の遠足では使われていたみたいですが。

平成7年 亥ヶ谷山・曽根次郎坂太郎坂の整備
愛用の草刈機を手に話をする大川さん。
愛用の草刈機を手に話をする大川さん。
今使っているのは2代目ですが、そろそろ換え時だとか。
この年に行った活動の中心は、賀田町にある「亥ヶ谷山」のコース整備。
亥年に当たるこの年、多数の登山客がこの山に入りました。
この前年から元旦にこの山に登っていた大川さんは、自分の地元の山だから、ということで登山道のコース整備をしました。送電線の鉄塔を管理している中部電力(株)とも協力しながら、登山コースを整備していったそうです。
今でも、元旦・春・秋と年3回は登って、そのうち2回は草刈機を担いでコース整備だそうです


さて、大川さんはこの年から、「曽根次郎坂太郎坂」の整備に取り組み始めました。
そこにかつて道があったことは分かっているけれど、当時はすっかり荒れて道がなくなっていました。その道を一から発掘しようというのです。
発掘の仕方は、いたってシンプル。自分で草刈の道具を担いでのぼり、道を見つけて、草を刈り枝を払いながら道を付けていくのです。
とは言え、これがなかなかたいへんな作業。2mくらいのシダが生い茂るところを、道を探しながら歩くのです。ところどころに残る石畳を頼りに、間違っては引き返しながら進みます。
それでも、曽根から甫母峠までは比較的簡単にコースが見つかり整備もできたそうです。
しかし、甫母峠から熊野市二木島までの道が、なかなか見つからなかったのです。
「二木島に女ができたのか?と疑われる」くらいに、平成7年には二木島へ通ったそうです。そして二木島から甫母峠を目指して山に入りました。地元の山に詳しい人に同行してもらったりしましたが、どうしても道は見つからず・・・・。
さすがの大川さんも、一度は諦めかけたと言います。

 平成8年 曽根次郎坂太郎坂の整備
枝を払うための大きな鎌を手に、道を発掘するときの様子を語る大川さん。
枝を払うための大きな鎌を手に、道を発掘するときの様子を語る大川さん。
曽根次郎坂太郎坂の発掘を諦めきれない大川さんは、平成8年の正月に再び発掘にチャレンジ。
そのときに地元の猟師さんが、「前から何度も山に入っているが、一体何をしているのか?」と聞いてきたそうです。この猟師さんに事情を説明していると、なんとこの人が、甫母峠より二木島側で石畳を見たことがあるというのです。
これを聞いた大川さんは1月21日(日)(日付まで覚えてました!)、この猟師さんに同行してもらって、ついに甫母峠から二木島までの道を発見したのです。平成7年にずっと通っても見つからなかったのに、同行してもらった半日で道が見つけられたそうです。

この後、大川さんは6月いっぱいまで(約半年)かかって、二木島までの道を整備したのです。毎週末、主に御夫妻で犬を連れて山へ入りましたが、ときには地元の人などが興味を示して同行してくれたそうです。
2mにもなるシダを刈り、枝を払いながらの作業です。進む距離は、長くて1日100m。約半年をかけて、ようやく今の「曽根次郎坂太郎坂コース」が出来上がったのです。
今までの活動で一番印象に残っているのは、この甫母峠から二木島までの発掘作業だったと、大川さんは迷わずに言います。それほどたいへんな作業だったんですね。

 平成9年〜 鈴河谷川沿いの植樹
大川さんは、賀田町を流れる鈴河谷川沿いに花を植える活動を始めました。きっかけは、亥ヶ谷山がその年の県民体育大会の登山コースになったこと。
地元の人間として、お客さんをどうやって「もてなす」かを考えた結果、花を植えて道をきれいにすることを考えついたのです。
その後もこの活動は続き、平成13年6月までに、アジサイ約500本、ツツジ約200本が植えられました。

 平成10年 三木峠の整備
この年の11月頃から翌平成11年4月頃まで、今度は三木里から古江に至る三木峠の整備に取り組みました。
同じく2mにもなるシダが生い茂る、道なき道を進みながら、道を作っていったのです。
今では国道311号線沿いに三木峠の入り口がありますが、これも途中だとか。平成13年には、残りの部分を発掘することも計画しているようです

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