熊野古道
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熊野古道とは
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  熊野古道とは?
 熊野古道は、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)に詣でるための道です。世界遺産として登録されている「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成する参詣道のひとつ、熊野参詣道の通称です。(熊野古道の世界遺産登録については、こちらのページをご覧ください。)

聖地・吉野からさらに南に位置する熊野は、古くから神々の住む聖地、死霊の集まる再生の地として崇められてきました。厳しい道を乗り越えて、大自然の中にある再生の地・熊野へ詣でることで、来世の幸せを神々に託すという信仰が生まれました。これが「熊野詣」です。

熊野本宮大社
 和歌山県田辺市本宮町にある「熊野本宮大社」。かつては熊野川のほとり「大斎原(おおゆのはら)」に本殿がありましたが、明治時代に大水で流され、今は川そばの小高い丘にあります。
那智大社の御神体 那智の滝
 和歌山県那智勝浦町にある「熊野那智大社」。那智大社の御神体は、「那智の滝」。日本古来の自然崇拝(アニミズム)の象徴ですね。

 熊野三山が成立した平安時代中期、法皇や上皇の御幸がはじまると、その影響で街道や宿場が整備され、「熊野詣」がますます盛んになっていきました。その後、皇室から武士さらには庶民へと信仰が広がり、「蟻の熊野詣」と言われるほど多くの人が訪れるようになりました。熊野信仰がこのような広がりを見せた背景には、11世紀半ばから広まった浄土信仰によって、熊野が「死霊の地」ではなく「浄土の地」として認識されるようになったこと、本宮大社で悟りを開いたとされる一遍上人を開祖とする時宗の僧が、庶民たちに熊野信仰を説いてまわったことによって、長く険しい熊野への道のりを越えていくことで悟りを開き、熊野に行けば救われる、そう信じられるようになったのです。もちろんそれは、熊野の神々が、身分や性別を問わず誰でも受け入れてくれる懐の広い神であったことが大きく影響しています。

この「熊野詣」のための道が本格的に整備されたのは江戸時代(17世紀前半)。
紀州藩藩祖 徳川頼宣が、藩政の諸政策を進める中で街道の整備を重視。政治的な交通路として、和歌山から新宮までの「紀伊路」に伊勢までの「伊勢路」を加えて、熊野街道として整備されたのです。

三重県の熊野古道案内標識に使われているイラスト。「蟻の熊野詣」をイメージして、旅人姿のアリがデザインされています。 三重県の熊野古道案内標識に使われているイラスト。「蟻の熊野詣」をイメージして、旅人姿のアリがデザインされています。
(平成16年夏頃までは利用されていましたが、現在は使われていません。)
和歌山県、奈良県、三重県の3県で作る「世界遺産登録推進三県協議会」が統一ロゴマークとして作成したマーク。熊野三山、吉野大峯、高野山の三霊場と、そこへ至る参詣道がイメージされています。
道路の案内標識などは、このマークで統一されています。

熊野速玉大社

 和歌山県新宮市にある「熊野速玉大社」。
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  熊野古道いろいろ
 盛んになった「熊野詣」には、いろいろな地方からのルートができました。地図にあるとおり、大きく分けると6つのルート(紀伊路・大辺路・中辺路・小辺路・大峯道・伊勢路)があります。
その中でも人気があったのが、伊勢神宮から熊野三山を目指す「伊勢路」です。
紀伊半島の西側を通る「紀伊路」が法皇や上皇らの御幸ルートであったのに対し、「伊勢路」は庶民の道。お伊勢参りを終えた旅人や西国三十三カ所めぐりの巡礼者たちが通りました。

熊野古道は、各地から様々な思いを抱えながら熊野を目指して人々が歩いた巡礼の道です。熊野古道、熊野街道などの呼び方がありますが、世界遺産登録された名称は「熊野参詣道」です。
熊野三山・高野山・吉野大峯といった霊場と、そこへ至るための広範囲に及ぶ参詣道、そこを歩いた巡礼者たちを受け容れてきた地域が、今もなお紀伊半島の広い範囲に残っているのです。
紀伊山地の霊場と参詣道 全体図

▲「紀伊山地の霊場と参詣道」全体地図


  三重県が誇る「熊野参詣道 伊勢路」
 人気のルート「伊勢路」は、江戸時代の人気読み物『東海道中膝栗毛』にも登場します。「伊勢に七度、熊野に三度、愛宕様には月参り」と。
険阻な山道が多いこのルートのメインは、三重県大紀町大内山から熊野市まで。わずかな距離の間に、荷坂峠(ツヅラト峠)、始神峠、一石峠、馬越峠、八鬼山越え、三木峠・羽後峠、曽根次郎坂太郎坂、二木島峠・逢神峠、大吹峠、松本峠と、10以上の峠が連なっています。それらの峠道の多くは、江戸時代頃から続いている林業によって形成された桧と杉の人工林に囲まれています。

波田須の石畳道

 熊野市 波田須の道に残る石畳道。鎌倉時代に作られたものと言われています。
 このように状態の良い石畳道は、伊勢路の大きな魅力の一つとなっています。

その中には、「西国一の難所」とうたわれた八鬼山越えなど、厳しい道も多々あります。そしてこれらの峠には、数百年前に作られた石畳が、見事な状態で現在まで保存されています。地形が険しかったために開発から逃れて、道自体が広範囲にわたって現在にまで残っているのです。
また、林業をはじめとする地域での特徴ある文化が、熊野三山などの霊場へ至るための参詣道、見事な石畳の残る道を守ってきたのです。

「伊勢路」は、単なるモノとしての道ではなく「祈りの道」として地域の中に残る、三重県が世界に誇る文化遺産なのです。

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