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梶賀のハラソ祭り <
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尾鷲市 > |
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昔の捕鯨を再現、梶賀のハラソ祭り。
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江戸時代も初めのことです。尾鷲市の梶賀浦の湾内に、大きな鯨が入ってきました。 浦の人びとは舟を総出動させてこの鯨を遠まきにし、モリを使って鯨を仕止めました。 梶賀浦の家数が三十戸あまりのころです。鯨はどこも棄てるところがないので、一頭の鯨をとると、たちまち浦の人びとの生活が楽になりました。 梶賀浦で鯨がとれだしたというので、紀州藩から役人が出張してきて、藩営で捕鯨事業をするかどうかを検討しました。 そのころ九木浦にはすでに藩の鯨方役所があって、藩営で捕鯨をしていましたので梶賀浦でも藩営を考えたのでしょう。 しかし藩の役人が見分にきたときは、鯨は一頭もとれませんでした。それで役人は藩営の捕鯨をあきらめて帰りました。 藩の役人が帰ると、不思議なことに、梶賀湾にまた鯨が入ってくるようになりました。網元の浜中家では本格式に捕鯨を考えるようになり、 先進地の太地を見学し、羽指(ハザシ)など勢子船の役割もきめました。 天明のころにも、天保のころにもキキンが続いて、人々の生活は苦しくなりましたが、梶賀浦ではそのつど鯨が捕れたので、浦人たちは餓死をまぬがれました。
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現在では鯨は近海へ寄りつかなくなり、梶賀浦の捕鯨も明治の初めには廃止されましたが、しかしキキンのとき常に鯨によって助けられたという話が、古老によって語りつがれているので、梶賀浦ではいまでも鯨に対して感謝の意をこめて、ハラソ祭を行っています。ハラソ祭は昔の捕鯨を再現するもので、モリを打って突き取るという捕鯨の古法を、そのままの姿で伝えています。勢子船の古式の速い漕法や、羽指の鯨を突く動作など、二百年の昔がよみがえってくるようです。
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参考文献 |
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なし |
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その他関連情報 |
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なし |
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