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ホーム >> 東紀州百科事典 >> 民俗・文化・歴史 >> 熊野市百科大事典:名所・観光地 『光福寺』  < くまのしひゃっかだいじてん:めいしょ・かんこうち 『こうふくじ』 >
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ジャンル: 民俗・文化・歴史 | 自然・風土・環境 | 方言・郷土料理・物産 | 行政・統計・経済

民俗・文化・歴史 熊野市百科大事典:名所・観光地 『光福寺』  < くまのしひゃっかだいじてん:めいしょ・かんこうち 『こうふくじ』 > < 熊野市(旧熊野市、旧紀和町) >
行き方
熊野市 飛鳥町神山 ( こうのやま ) にあります。熊野市駅を起点にすると、国道 42号線に出て、尾鷲方面に向かいます。大泊から佐田坂を上り、峠の小阪トンネルを抜けてすぐに 42号線から外れて左折し、国道 309号線に入ります。約 2.5KM で、右側にあるお寺です。二万五千分の一の地図にも名前の載っているお寺です。駐車場はありませんが、写真でわかるとおり寺の前の路肩が少し広いので停めてしまいましょう。
熊野市百科大事典:名所・観光地 『光福寺』
熊野市百科大事典:名所・観光地 『光福寺』
開基 - 平惟盛
光福寺の開基は、平惟盛と伝えられています。平惟盛は、清盛の孫で、平家物語では、那智の海で入水自殺したとされていますが、紀伊半島南部一帯には、惟盛は、那智で海に入ったが自殺は偽装であり那智の浜から約 4KMほど東の宇久井に上陸し、再起を期して逃亡したとの伝承があり、各地に伝説が残っています。( 光福寺秋田住職の 「後南朝 尊雅王子は蘇る / 平惟盛卿残照」に詳しい )

熊野市及び南牟婁郡の惟盛の伝説地としては、光福寺奥の院の観音瀑 ( または単に「おたき」) は、惟盛の遺骸を納めたところという。
熊野市内には、井戸町瀬戸に、惟盛の墓所という惟盛神社とその近くに惟盛の窟、半次郎の窟があり、又、御浜町には平家の武士の血で赤く染まったという赤渕があります。

石宝殿 (尊雅王の墓)。高さ約 90CM
大正時代に両扉の菊花紋が削り取られた跡あり

また、光福寺は後南朝最後の王である 尊雅王 (又は南天王) が亡くなった場所で、墓もここにあります。続群書類従第 7集にある楠氏系図は、正成、正行、正綱、正倶、正隆、正理と系譜を記し、正理に左京太夫と注記しそこに、
此時南帝後醍醐四代孫也。赤松謀叛奪取三種神器帰京。自是十津川皇居破。而於北山高野上高福寺崩御。
とあります。十津川が北山と、高野上 (こうのうえ) が神山 (こうのやま) と合致しない為、異説もありますが、一般にはここで言う高福寺は、光福寺のことと解されています。ちなみに、近くの熊野市神川町神上 (こうのうえ) には該当する寺はありませんし、伝説もありません。また、寺名に使われている字の違いは、昔は漢字には拘泥しなかったので字が違うのはごく普通の事です。
熊野市百科大事典:名所・観光地 『光福寺』
熊野市百科大事典:名所・観光地 『光福寺』 光福寺にある尊雅王の霊殿です。本堂の左側にあります。左上写真の石宝殿はこの霊殿の裏にあります。

霊殿には「興福院殿南天皇都正位尊儀」という尊雅王の位牌と石宝殿にあった阿弥陀如来立像を浮き彫りにした板碑 ( 南帝王像という。高さ 50CM位 ) を祭ってあります。板碑には阿弥陀如来の像の左に南天王墓と刻字されていますが、 「後南朝史論集」 の佐藤虎雄氏論文では、この刻字は後世のものとされています。
熊野市百科大事典:名所・観光地 『光福寺』
熊野市百科大事典:名所・観光地 『光福寺』
また、本堂裏手の墓地には、上の方の歴代住職の墓のある場所の真ん中に、一石五輪塔と宝篋印塔があり、尊雅王の火葬の場所と言われています。上記の佐藤虎雄氏論文には、この五輪塔は室町時代の形式で南天王の供養塔ではないかと伝えられていると記されています。

また、この寺には、戦後一時期、右翼として活動した 清水亘 の墓もあります。墓地最上段の 熊沢天皇 の墓の隣です。

データ
参考文献
  ・熊野市百科大事典
・「後南朝 尊雅王子は蘇る / 平惟盛卿残照」
・「後南朝史論集」
その他関連情報
  なし


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