|
|
当サイトはどなたでもご自由にリンクしていただいて結構です。よろしければ上のバナーをお使いください。 |
|
|
|
熊野市百科大事典:人 『吉田庄太夫』 <
くまのしひゃっかだいじてん:ひと 『よしだしょうだゆう』 > |
<
熊野市(旧熊野市、旧紀和町) > |
|
江戸時代後期のひとです。和歌山藩の御勘定組頭でした。 新宮領主水野氏の所領は主に奥熊野であったが、一部、有田郡と日高郡にもありました。安政年間(1854-1860)、この水野領を、奥熊野にあった和歌山本藩領と交換することとなり、和歌山本藩領の、木本組及び北山組、入鹿組、本宮組の27か村を、和歌山領から新宮領へ組み替えることになりました。このときこれに反対する一揆が起き、木本では 極楽寺 に数百人が集まりました。
|
吉田はこの一揆をおさめるために木本に派遣され、結局、一揆の意向を受入て、安政4年(1858)組み替えを中止しました。中止は当然藩の意向に反するので吉田はその責任を取って、翌安政5年、江戸藩邸で切腹しました。 木本神社 に吉田大明神があり吉田の徳を称えている。
|
|
|
吉田庄太夫の村替え据え置きの誓文は次の通りです。 御村替御据置之儀、願之趣 (おんむらがえ おんすえおきのぎ、ねがいの おもむき) 拙者引請可遣候間、此墨付を以 (せっしゃ ひきうけ つかわすべく そうろう あいだ この すみつき をもって) 一統安心致申可事 (いっとう あんしん いたし もうすべき こと)
吉田庄太夫 実印 己閏五月十二日 本宮組十二ヶ在 入鹿組十 ヶ 在 北山組四 ヶ 在 木本浦 右惣百姓中
右之通相違無之候 松下幾之丞 実印
右御本紙者当席江奉納置有之候 太 平 楽 印
|
|
参考文献 |
|
・熊野市百科大事典 ・木本神社蔵 熊野市史 |
|
その他関連情報 |
|
なし |
|