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熊野市百科大事典:祭りと催し 『木本神社 祭礼 』 <
くまのしひゃっかだいじてん:まつりともよおし 『きもとじんじゃ さいれい』 > |
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熊野市百科大事典:祭りと催し 『木本神社 祭礼 』 <
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熊野市(旧熊野市、旧紀和町) > |
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みこし
木本町内はさらに細かく分かれています。栄町、本町、親地町、新町、布袋町、寺前、関船町、新出町、切立、笠屋町、西川町、新田、新開地、丸山町など、思い付くままに並べてみました。祭りの行列は、親地町にある木本神社から、本町一丁目、二丁目、三丁目、関船町、布袋町を経て、新出町の旧稲荷神社跡地の御旅所に行き、浜を通って帰るのが古来の道順です。
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だんじり
祭りの行列は、だんじりで始まります。新出町の担当です。木本のだんじりは小さいものです。子供が引きます。大人が一人のって小さい太鼓をテンテケテンテケと叩きながら進みます。太鼓のリズムは多分伊勢音頭のリズムと思いますがよく知りません。だんじりに、槍を持った鬼、薙刀を持った天狗、鈴と幣を持ったお多福が続きます。
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神輿
次は神輿です。神輿は全体のものですが、担ぎ手を出す町は決まっていたと思います。神輿は小人数で担ぎます。子供心に10人くらいで担いでいたと思ってました。今、見るともっと多いです。若者がぐでんぐでんに酔っ払って担いだものです。喧嘩している時間の方が担いでいる時間よりも長い。各町からでてきた若者が対抗心をあらわに喧嘩するのです。 神輿の足はごく短い。50cm 位です。人数も少ないし、肩まで担ぎ上げることはあまりないです。ほとんどいざって進みます。喧嘩ばっかりしてますので、てんでんバラバラに持ち上げようとしますし邪魔するものがいたりして、また、喧嘩するのです。だから、進行はものすごく遅い。
担ぐ時の掛け声は、「ちょうさ、ちょうさ」と言います。これは、「わっしょい」よりも古い形です。私が子供の頃、神輿は、木本神社から御旅所までは、車に乗せて引いて行くことになりました。御旅所からは担いで海に持っていって潮浴びさせました。子供はいくらでもいましたから引き手に困ることはなかった。今は、子供も少ないし、担ぎ手も少ないでしょうから、どうやっているのでしょうか。神輿を担ぐのは危ないのです。私の叔父は若い頃神輿を担ぎたくてしょうがなかったが、親が頑として許さなかったと聞いています。
神輿には、大傘を持った脇立が従います。神輿に続いて、鳥形の色帽子をかぶり、緋縮緬の袷を着、黄色の袴をはいた児童 7人が、太鼓一人、笙一人、横笛三人、縦笛二人で合奏しながら付き従います。さらに、金幣、弓、鉾、紙幣を奉じた四人が続きます。
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よいや
わたしの町、栄町は「よいや」を担当します。よいやは大勢で担ぎます。中に大太鼓が据えてあって4人の子供(10歳の男の子)が太鼓を叩き、そのリズムに合わせて担ぎます。私の時は町内に 10歳の男の子が 8人もいましたので、宵宮の四人と本宮の四人に分けて全員が乗りました。私は宵宮に乗りました。
8月頃から学校が終わると集まって稽古をします。子どもが打つのは、流し(連打)と、よいや(特定のリズムで打つ)の二つです。大人は、さんこべ(三拍子)とかいろいろあって、祭りの当日によいやがとまると、乗り込んできて子供から撥を取り上げて盛んに叩きます。他所の町内の若い衆も乗り込んで叩くので喧嘩もあります。
私の時は、よいやは担がずに台車に乗せて引きました。今は、また、担いだりもしているようです。担ぐ時には、よいやをロープでぎんぎんに縛り上げて補強します。よいやや神輿を引く時にはひくのは子供たちです。白いパンツに白シャツで、体に水引をかけ、白足袋でひきます。これは神輿を担ぐ人も同じです。よいやははっぴです。
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よいやの叩きかた。 まず、担ぎ手が位置に就くと、流しを数秒間叩きます。この連打を合図によいやがもちあがります。持ち上がると、「よいや」と叫びながら立ち上がります。そして座りながら、両手で、ドンとたたき、右手、左手、右手、左手、両手、両手とたたきます。これを、「よいや、トン、トテン、トテン、トン、トン」と覚えます。持ち上がっている間は、よいやを続けます。担ぎ手が疲れてくると、合図があり、流しを叩くとよいやがおります。稽古の時、よいやの声が小さかったり、流しが下手だったりするとよいやが上がらんといって叱られたものです。
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飾りを何も付けていない裸の「よいや」は思ったよりも小さかったですが、この屋根の上に布団を三重にのせて、子供が乗り込む所の周りに飾り付けをすると結構な大きさになります。それを、担ぎ上げるのですから、高さもかなりのものです。 右は、「よいや」の太鼓です。
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ろっぽう
ろっぽうは大名行列のうち奴を模したものです。左の写真は、丁度、神社を出発したところです。石垣は神社の石垣です。 これは親地町の担当です。親地町は漁師町です。町内の中学生が奴に扮して毛槍などを振りながらねり歩きます。16人です。全員揃いの黒紋付の短い袷を着せ、竹で幅 2間、長さ 7間 (4M x 13.5M) の枠を作り、その中に、挟箱、熊毛、槍、鳥毛、臺傘、立傘、飾弓、火縄、鉄砲、薙刀、天目、太鼓、折木を持って 2列縦隊で並びます。枠の外側には若者 7人が横笛を吹き、囲んだ大人たちと枠の内側そろって「フリーコメーサー」と囃しながら、枠内ではそれぞれ持ち物を振り立てながらゆっくりと進みます。ろっぽうの行列は昔から木本以外にも知られていて、名古屋あたりの催し物に出演したりしていました。
私が子供の頃には、祭りと言うと屋台が一杯出て、町内の人は皆着飾り、近在からも見物にきて大変な賑わいでした。
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参考文献 |
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・熊野市百科大事典 ・「くまの」 |
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その他関連情報 |
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なし |
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