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京都から名神高速・国道1号線を経由して鈴鹿峠を越えれば三重県。関から伊勢自動車道へ入り、安濃SAで休憩した後、勢和多気ICから国道42号線をひた走る。やがて荷阪峠を越え。左手に熊野灘を臨む頃には空腹感を覚え。紀伊長島で刺身定食を頂く・・・。
これは、数年前から取り組んでいる「プロジェクト熊野」の活動の一環である、合同社会調査実習時のいつもの行動パターン。都市部の複数の大学の研究者・学生たちが、東紀州をフィールドとして、地域の生活誌を研究するプロジェクト。
やがて昼食を終えると、尾鷲班と熊野班に分かれ、奥熊野で営まれてきた暮らしの年輪を少しずつ読み解く作業が開始される。
東紀州を語るとき、過疎化・高齢化の進展、基幹産業である一次産業の衰退・・・といった、あまり楽しくないイメージを無理矢理喚起するような表現がつきまとう。とりわけ行政機関が発行する資料類においては。だがそこからは、地道にそしてしたたかに暮らしを営む地域の人々の姿は見えてこない。
教室や図書館で文献を調べた学生たちからは、地域生活のフィールドワークを積み重ねるたびに、疑問や驚きの声が上がる。それは、「過疎地域」「不便な地域」と喧伝されてきた地域イメージがあまりにも一面的であることを発見するからだ。
一人暮らしの女子学生は、調査地で出会った美味しい干物を焼くために、下宿に初めて魚焼き用の網を買った。自宅通学の男子学生は、親に食べさせるために宅配便でみかんを送った。漁師の暮らしに興味を持つ女性研究者は、結婚式以外の場で伊勢海老を見たのは初めてと言い、浜値で購入したエビを大事に大阪まで持ち帰った。山村の高齢女性の生活史に興味を持つ研究者は、週2回しかバスの走らない山里へ東京から年に何度も通った。それぞれに、東紀州の魅力や資源の一端に出会えたからだ。
地域の姿は多様である。そこにある問題群も、生活する人々の姿も。多様な姿を丁寧に発信することで、東紀州の魅力に気づく人々(外部の人も内部の人も)が増えることは間違いない。それは、地域の抱える問題群の解決にもプラスのベクトルとして働く可能性が高い。多様な情報発信にとって、ポータルサイトに期待するもの、大である。 |
寺口 瑞生さん
<プロフィール> 千里金蘭大学人間社会学部人間社会学科 東紀州活性化大学コーディネーター(第1期生から10期生までの10年間、250名あまりの人々と一緒に、「地域を知る」「地域を楽しむ」作業を実践してきました) |
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